好きになった私が負け

でも幸せだから、やっぱり勝ち。

出戻りフロサポ/やっぱり川崎フロンターレが大好きですのはなし

 

どうも、出戻りフロサポです。

 

約9年ぶりに茶の間サポから現地サポに出戻りして、本当に楽しくて素敵なシーズンを送ることができたので、備忘録を。

 

最初に。新しく好きになったものができた時に、後押ししてくれたり、一緒に楽しんでくれる友達がいるって、本当にありがたいことだな〜と感謝の気持ちでいっっっぱい!みんないつもありがとう!

そして、いろんなエピソードを乗っけるけど、みんなに掲載許可をもらっていない!ごめん!許して!嫌だったら連絡して!

 

 

 

 

1)出会いは小学生 ホームタウンでの日々

 

まずは前提を。

川崎フロンターレとの出会いは小学生の時に遡る。18年前?

うちの地元はフロンターレのドホームタウン川崎市

フロンターレのコーチ陣が来て、「サッカー特別授業」が(私の体感、中学年以降は毎年)開催されていた。授業が終わったらトレカの配布があるやつ。

(2回3回くらいあったような気はするから、小4、小6とかで受けたんじゃないかな〜、当時、どうでした?(笑))

 

このトレカを持って帰って、「今日サッカーの特別授業があったよ!」と親に報告。

我が家は父親が小さい頃から川崎市民だったのと、等々力は"気合のチャリ圏内"、弟がサッカーをやっていたり、土日はいつも父親に遊んでもらっていたり…だったため、父親はノリノリになって「じゃあ今度観に行こう!」の展開に。

 

ホームタウンすぎて、小学校の担任の先生もフロサポだったし、

クラスの子がエスコートキッズに選ばれていて、週明けに先生やクラスメートがそのことで盛り上がっていたり、そもそもそんな場所で育っていた。

 

ちなみに自分が小6の時にもらったトレカは川島永嗣

クラスの男の子たちから「くれ!」ってせがまれまくったけど、GKカードってレアでは!?と思い、油性マッキーでソッコー名前書いて死守。名前書いたら愛着湧いてしまった。ちなみにこの運命がきっかけで私が一番好きなサッカー選手は今も川島永嗣

 

このトレカ、今は会社のデスクの引き出しにいます。

 

そして当時のフロンターレは、もちろん優勝未経験時代。

とにかく地元住民、特に子供には本当に優しくて、さまざまな手段で無配チケットがでに入る状況だった。

自分の記憶では、小学校にも何枚か券が来ていて、先生に言ってもらったような記憶もあるし(自分、博物館の招待券とかも全部もらっていたから違うかな?w)、

新聞屋さんがくれたり、

地元広報誌のクイズに答えて送るともらえたり(笑)、

本当にオイシイ思いをたくさんさせてもらった。

 

中学、高校、大学1年目くらいまでは、「父親と一緒に遊びに行ける場所」の感覚でフロンターレの試合をちょこちょこ観に行って、TVで中継がある時は一緒に見たり、としていた。

 

大学生になりバイトが解禁され、自分の手でお金が手入る状況になると

本業であるジャニオタで大忙しになり(笑)、現地観戦からめっきり遠のいてしまっていた。

でも「試合の結果」だけは毎回気にしていて、スタメンの名前を眺めたりもしていた。

 

J1初優勝の試合の時は確か大学があって帰り道の電車の中で、とにかく電車の中なのに大泣きしたのを覚えている

 

そんな、「地元のサッカーチーム・俺の川崎フロンターレ」に大再熱、

なんならこの18年間で一番深入り大好き状態になったのが今年なのであった。

 

2)好きな人が見つからないなら、
     DAZNに契約すればいいじゃない

 

最愛の川島永嗣が海外に行っていなくなり、その後は中村憲剛小林悠を応援しつつ、2019年に田中碧を見つけ「好きだこの子!?!」と思っていたら20年は大コロナ時代、そんな中21年に海の向こうへ。なんなら20年には憲剛が引退。

自分は「川崎フロンターレ」を好きなことに変わりはないから、「好きな人を見つけたい!」と思ってずっと過ごしていた。

(本業ジャニヲタだからね、一人好きな人がみつかれば…というのはわかっていた)

 

私の高校の時からのマブが、スーパーJリーグオタクのFC東京サポで、Jリーグソムリエ。

定期的に「こんな選手いない?(好きになりたい選手の条件を全部並べ出す私)」「チャート欲しいよね〜」と話していて、そろそろ本当に好きな人が欲しいなあと思っていた2023年。

まずはもっと試合を意識しようと、会社のカレンダーに試合日程を全部入れたり、些細いな努力をしていた。

(でもね、灯台下暗し、この時点でまだTwitterアカウントをフォローしていないんだよね…)

 

23年の天皇杯決勝もテレビで見つつ、「今の誰だ!?」と検索したり、好きな人を作ろう作ろうとしていた。

 

そんな中で24年1月。

移籍のリリースが出る。宮代、登里、山根、さすがに茶の間の私でも知っている名前。

終わった。もう知っている選手が全然いない。

絶望していた中で希望のリリースも降ってくる。

 

川島永嗣、J1復帰。

 

…ガチか。

見送って14年(そんなに経つ!?)、次日本に来る時は、もう、コーチとか、そういう立場になるのかなって思っていた永嗣、J1に、選手として帰ってくるんだ。

 

そもそも代表戦のアウェイが見れないのが本当にストレスだった中で、このリリースが続き、「よっしゃ、選手、見てりゃ覚える!DAZN、契約だ!」と踏み切ることになった。

 

因みにこれはギリギリ預言者の自分

今思うと、フロンターレを知らなさすぎるというか、大守護神ソンリョン様がいる川崎には戻ってこないよな…(笑)

 

3)見つけた、コウタ

 

DAZNに無事フロンターレ経由でパスを購入。(このルートがあることは友達が教えてくれた)

平日ナイターの試合は、残業しながらパソコンの真横に立てかけたスマホで試合を流したり、意欲的に試合を観戦していた。

ただ、そもそも「サッカーが好き」「地元フロンターレが好き」なもんで、

「サッカーこんなに見れるのたのし〜!おもしれ〜!」の日々が続いていた。

 

そんなある日、見つけてしまった。高井幸大を。

 

 

5月15日、サガン鳥栖戦。

点決めた後の笑顔がめちゃめちゃ可愛かった。

その後、五輪を控えたU-23の代表に選ばれる高井くん。

インスタで「この前気になった高井くんだ!」と載せると、思わぬ方向からメッセージがくる。

 

まず、地元の友達。

前述の通り、ホームタウンで育ちすぎているので、地元の友達はほぼ大体フロサポ。

「高井くんは有望、見る目ある」

ガチか。ずっとフロサポしている地元のヤツに言われる説得力ヤバくて、

「推す勇気出たありがとう!!」とウキウキで返信。

 

つぎ、元同担の友達。

お互い学生だった頃、同じジャニタレを推してた姐さん。今はガッツリサッカーのオタクに転生していて、そんな姐さんから。

「ねえ高井くんこの前のアジアカップめちゃくちゃよかったよ!?!」「推すしかない!!まゆちゃんの好きそうなタイプ!!!(好きそうな要素大羅列)」

 

これ、二人とも頻繁に連絡とっている仲とかじゃ全くなくて、

「え!?そこから!?」っていう矢の刺され方だった。びっくり。

みんながそんな急に連絡くれちゃうくらい、ヤバい子なんだ!と実感。

 

その後、無事五輪のU-23に選出。

オリンピック行ってらっしゃい!と見送ることができたし、

五輪の頃にはもう大好きになっていて、自分のストーリーには試合のたびに高井くん今日も良かった!と並ぶようになっていた。

 

やっと好きな人見つけた!とウキウキ状態の私。

一方この頃のフロンターレ。爆弱。

知らない、こんなの、ってくらい弱い。

結果みれば勝っているでお馴染みのフロンターレ、毎試合勝てない。

さすがに信じられないくらい弱すぎて焦る自分。

「ねぇなんでこんなに弱いの!?いい選手入れるお金がないのか!?どうしたらフロンターレを強くできる!?お金を落として現地に行けばいいか!?グッズ買えばいいか!?茶の間だった私が何か動けば、変わる!?どうしたらいいの!?」

 

グッズといえば。

川島永嗣を好きだった時も、田中碧好きだわ!と思った時も、

既に二人は代表に選出されている頃で、ショップ(エイジの時は駅から離れたコンクリ打ちっぱみたいな建物(笑))に行っても毎回名前が入ったグッズは売り切れ状態。

そのまま海外に行ってしまい、フロンターレにいる頃から好きだったのに川崎時代のグッズが手元にない失態を2度も犯している。

もうこんな過ちはしない!自分は今フロンターレにお金を落としたい!五輪お疲れありがとうも込めて、高井くんのグッズ買いにいこう!と思い立った。

 

ちゃんとタオルを買った。ストラップは売り切れてた。

(ちなみに、ショップが新しくなってから来たの初めてだった。コンクリ打ちっぱ時代の後、イトヨにショップあったよね?あの頃まではよく用事もなく立ち寄ってたんだけど)

 

そして8月11日の多摩川クラシコ

おかえりの一点決めた後の笑顔がほんと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜に可愛くって、もう特大のめろめろであった。

 

4)運命、巡ってきたユニ

 

そんな多摩川クラシコ高井くんのおかえりの1点に喜ぶ私に、

思いもしていない友達から連絡がくる。

高校の時のクラスメートの男の子。10年ぶりの連絡だった。

 

本当に思いもしていなかった。なんの予兆もなかったから。

どんな間柄かと言われれば、

高3の時がブラジルW杯だったんだけど、みんなで試合の感想戦をしていた輪にお互いいたし、

彼がフロサポなのは知っていたし、

彼はホーム戦にちゃんと通っているタイプで、試合の後にインスタに写真載せていて、私はその投稿を見かけた時にはいつも「いいね」を押していて、逆に私がインスタにサッカーのネタを載せると、彼も「いいね」をくれていた。

でも本当にそれだけで、高校の時、特別つるんでいた訳でもないし、

卒業してから10年、インスタも別にコメントとかお互い全くなく、ただ「いいね」をするだけの間柄だった。

 

「久しぶり!(かくかくしかじか)

高井ユニが1枚余っているんだけど、いる?」

 

 

・・・・・いる!??!?!?!?!!?

 

 

いる?って何?、いる?って何(笑)

ダブって余っている事情は把握したけど、なに!?!大混乱、大慌て。

 

前述、FC東京サポのマブも、実は高3のクラスメート。細かい説明が省けるので、速攻連絡して相談した(笑)

 

もしかしたら、「半額で買い取るっていいなよ!」とかそういう作法的な何かを教えてもらえるんじゃないかと思ったのに、「素晴らしいじゃん」とか言い出す。

 

私「お互いいいね押すだけのやりとりしてただけだよ!?」

マブ「でもそれ(私が急に高井くんにハマり出したこと)はさ、OOくんからしたら嬉しいよね」

私「そっか・・・確かに・・・」

私「正直ユニもらったら現地行く気増す」

マブ「ハードル下がってモチベーション上がるよな」

 

実はずっと、ソムリエのマブからは「まずユニ買え!それで現地行け!それだけで没入感が違うから!!それで好きな人見つけろ!」って言われていて、

私は「だったら好きな人見つけて個人ユニ買って還元したい!好きな人見つけたい!」で(笑)

”鶏が先か卵が先か”みたいな話をずっとしていた。

そもそも相談した奴がそんなヤツだったから、「もらっちゃいなよ」の雰囲気しか出されなかった。

 

そんな、”貰っちゃう”なんて、どうお返ししたらいいんだろう、でも彼は儲けたい訳じゃないから「買い取るよ!」も違うし…と思っていたけれど、マブとのやりとりも経て、

「茶の間だった私が、これ着て現地サポになるのが一番の恩返しか…」と思うことができた。

 

本当にいいんですか?の気持ちを抑えながら、いやこれはもう、素直に貰うのが礼儀だと思い、

「本当の本当に頂いちゃっていいのならください!」と返信。

「2枚あるの勿体無いから高井くん推しに譲りたくて、貰ってくれたら嬉しい!」とまで言われてしまった。優しすぎる。人格者?

 

8月が終わる頃。

何の運命か、みんなの意味わからんほどの優しさに飲まれるまま、こうして私の手元に、優しさまみれの高井ユニが巡ってきたのであった。

 

5) 9年ぶりの等々力。ここは俺の"ホームタウン"

 

最後に行った等々力は2015年7月11日。

新しくなった等々力、いったことないと思っていたけれど、1回だけ行っていました。

 

ユニを手に入れて、もうウッキウキモードになっている私。

とにかくすぐさま等々力復帰したい。

実はFC東京サポのマブともう一人、一緒につるんでるマリサポのマブがいて、ぐるちゃで即連絡。

私「6日の飲みの予定、一週後ろ倒しにして13日に等々力に行きません???」

FC東京のマブもマリサポのマブも流石に19時等々力は難しいとか言い出す。おい頼むよ。

マブ「でもお前がスタジアムに行く機会を増やすために尽力したいから気持ちは前向きです!」

ありがとな。気持ちだけは受け取った。断られて不貞腐れたけど、心強くて嬉しかった。

ユニくれた友達も、「等々力案内するね!」「チケットもとるからいってね!」ってすごいいってくれていたけれど、金曜日は残業確定だから居ないんだよねと言っていたし…。

もう1人、高1の時のクラスメートでフロサポの友達。1回お互いの親も混じえて一緒に試合を観ていた子で、私のユニゲット投稿をみて、いの一番に「一緒に行こう!」って声をかけてくれていたんだけど、この日は予定合わず。

どうしよう。手詰まり。身内全滅。

 

いや。

別に一人で行けるな、等々力。

知らない場所じゃないし、ジャニの現場も一人で沖縄行くし一人で北海道行くし、行けるじゃん、一人行動できるじゃん。なぜ急にサッカーでひよった?

 

一人でも行けるかもって思っていた矢先。

行こうとしていた日は19時に担当の案件が終わる予定だったのに、なんか急に先方から、「その日はちょっと都合で、前倒しで始めさせてください!」とか言われる。まさかの激巻きで案件終了の予定に。これ、後半からならちゃんと間に合うじゃんの展開。いや、運命?

むしろ復帰戦でフルはびっくりしちゃう、後半からくらいの方がちょうどいいリハビリかも。

 

9月13日、鳥栖戦で9年ぶりの等々力復帰を果たすことができた。

 

まず、気合いでチャリでしか行ったことなかった等々力。

小杉からどのバスで向かったらいいのか分からなくて、調べまくった。

チケットも初めて自分で買った。

だって小さい頃はずっと、招待チケで見ていたから(笑)

サッカーもデジチケがあるんだ!いつも紙で貰っていたよ!とひと感動。

 

バスに乗って等々力に近づくと、ユニ着てチャリ乗っている人と並走している瞬間があった。いやまて、良すぎる光景。地元のサポだ。最高だ。あれ、前に私がしてたやつだ。私も昔、チャリでバスと並走してたわ。そんなこんなで停留所着。

「バス、ここに止まるんだ」とか思いながらバスを降りて、ダッシュでスタジアムに向かって、スマホでチケット見せてBゲートから入って、階段上がって。

早く入りたすぎて、ホームA自由を持っていたのに、とにかく目の前にあったBゲートから入ってしまった。でもそれでよかった。

9年ぶりに目の前に広がった「等々力」の景色があまりに感動的すぎて、鳥肌がたった。

鳴り物の音、サポーターの歓声、水色の客席に黄緑の芝、びっかびかの白い照明。後半が始まる笛の音。試合は始まっているのに、焦りも見せずただの日常の一部ですって顔して普通の顔してスタジアム内移動している人。

知ってる、何よりも知っている。

最高だった。小さい頃何度も見た景色なのに最高だった。

小さい頃何度も見た景色と、そっくりそのまま同じだったからこそ、最高だったのかもしれない。

 

おっといけない、立ち尽くして居る場合じゃない。まずはスタジアムにお金を落とす。

エプロンターレで生ビールを購入。紙コップ可愛い。そういえば成人してから来ていなかったので、等々力で飲むビールは初めて。ピッチに向けて軽く乾杯で掲げて、速攻1口すすった。

 

この、現金でしか買えないビールのためにと小銭をかき集めて探している間に、ずいぶん手馴れた様子の、「絶対近所のおじいちゃんだろ!!」って感じの男性が、タンブラーを持ってビールのおかわりに来ていた。

この景色もすごく最高だった。

地元の人に愛される、地元に住み着いているチームなんだって改めて感じた。

 

いやいや、もう試合は始まっている。

しかもこっから自由席ちょっと遠い。

ビール片手に競歩で自由席エリアに向かう。

この道中も最高だった。

立ち見エリアで飛び跳ねながら応援するサポ、きゃっきゃとはしゃぐ子供たち、とんでもない熱気。この熱気越しに見えるピッチ。さっきまでは「聞こえていた」応援の声の場所の中に自分が「入り込んだ」実感があった。

 

センターラインあたりに空席を発見、無事座ることができた。ベンチ目の前。この日は高井くんはベンチスタート。ベンチを凝視するも見つからず、よくみたらアップをしていた。出るかも、この後。

 

そんな淡い期待をしつつも、目の前で繰り広げられる久しぶりのサッカーに感動しきりだった。

プレーの一つ一つに客席みんなが一喜一憂、ナイスプレーに拍手、絶えることのない応援歌。

最高だった。

ここにいる人たちはみんなこんなに「川崎フロンターレが好き」なんだ、と思ったら、あまりに最高の空間に感じた。こんなに大勢で好きなチームを観て応援できる場所って、ここしかない。

今までお家のテレビやスマホからで1人で観ていた時の感覚とは本当にまるで違う。なんか心強さがあった。 

小さい頃も何度も来てたんだけどなあ、あの時は感じなかった感覚が沢山あった。

 

そんなことに感動しきっていると、遠くの正面に交代の文字盤が光った。

 

「10」「2」

 

嬉しすぎて、夢かと思って、「にぃ!!?!」って叫んだ。

 

電光掲示板撮るのって実はコツがいる。これはあまりに慌てて見返したらがびがびだったモニター。

 

出てきた、5月の鳥栖戦で見つけて、オリンピックに見送って、ずっと画面の向こうに居たのを応援していた高井幸大が、出てきた。

なんなら目の前のポジション。でけえ。

目の前を走って上がって行ったなーと思ったら、爆走して戻ってくる。

めちゃくちゃ気持ちよかった。

目の前で好きになったばかりの男が爆走している。

足速い男、まじでかっこいい。

 

この日の試合は「等々力劇場」と言われた試合。

90+1で同点に追いつかれて、もう終わった、と思い、泣きかけながら(感情移入しすぎ)、祈りながら(必死すぎ)応援していたら、"90+10"の山田新の一撃。

立ち上がって大喜びした。この大喜びをこの人数でやれていることが最高に気持ちが良かった。

大逆転勝利。これが等々力劇場か。

真剣に見すぎて飲みきれていなかった、もう冷たくないビールを飲み干した。もう味とかよくわかんなかった。

 

もう1つ嬉しいことがあった。

ユニくれた友達、金Jは行けないんだ…って言っていたくせに、まさかの現地にいた!!!

等々力に向かうバスでたまたま開いたインスタで、等々力の写真があがってて即連絡。

居ないもんだと思ってたからこっちからは事前の連絡も報告もしていなくて、お互いびっくり。

終わったら会おうね!って言ってくれて、1人じゃなかった………と思ったらめちゃくちゃ安心して等々力に向かうことができた。

「やったーーー!!勝ったよーー!」ってハイタッチして、頂いちゃったユニ着たよ!!ってちゃんと見せられて、私も一安心。

 

約9年振りの等々力復帰、感動と運命だらけで、全部の景色も音も気持ちも、忘れられない大切な思い出になった。

 

 

この体験がクセになり、そして、激ょゎフロンターレは、私みたいな茶の間だったサポでも応援が必要なんだ!!!この子達を勝たせたい!!!と強く思い、これ以降のホームの試合は12/4のACL以外全部現地に行って観た。なにより、新規ハイみたいになっていて、勝ち負けは勿論だけれど、「現地でみる試合が楽しい!」「友達と一緒に等々力で見る試合が楽しい!」という、激チョロモードだった。どの試合も、本当に全部楽しかった。

 

 

6)どんどん増える好きな人

 

今までは極論、「サッカーしている水色の軍団」だったフロンターレが、高井くんをキッカケに、どんどん「個人」が見えるようになった。

 

せっかく1人覚えたなら、他も覚えたい!

そんな意識を助けるかのような、様々なコンテンツが溢れる令和6年。

YouTube上がっている動画はとても助けられた。

勉強用の資料がとにかくはびこっていた。

 

そして、まずみんなの名前、なんとなくの顔を覚え始めてきた頃。

そう、カワハロの時期になった。

 

川崎フロンターレがトンデモトンチキ軍団なのは、茶の間の頃から流石に知っていたのだが、「まぁたやってるよ~www」の立場から、今年は当事者になってしまった。

毎日投稿される個性豊かな‼️(大煽り)写真達は、ある種、選手を覚える材料としても大変に役に立ったのであった。

 

何より、覚えたての山本悠樹さんが、ニッコニコのHOT LIMITをしているのが一発目だったのが、あまりに、オモロくて、もうだめだった。

 

前述の通り、ホーム鳥栖戦以降、あの連戦状態の中等々力に通いきった私は、試合を見る度見る度、色んな選手が気になっていった。

 

座席も、自分に合った場所を探そうと思って、色んなところから観ていたら、試合の見え方も全然違っていて、それも選手を見つけられるキッカケにも繋がっていた。

 

鹿島戦くらいまでくると、走っている背番号で誰か分かるようになった。この感覚になったときにめちゃくちゃ嬉しかった(笑)今まで解けてなかった数学の問題が急に解けるようになった時みたいな、ピタッとハマった爽快感があった。

 

ACL上海海港戦の時は、配布ブランケット足りないよ…!と思うくらい、この人が好き!の愛情が1人1人にとっても増していた。

 

土曜日に仕事が毎週ある都合でなかなか行けていなかったアウェイは、近郊の味スタ・ヴェルディ戦でデビュー。

この頃にはもうスタメンをみて「好きな男しかいない!!!!!」って騒いで、交代がかかる度に「やばい好きな男でてきた( ; ; )( ; ; )」と騒ぎ、「いやそれ全員大好きじゃん」の状態に。

 

今まで幼少期からずっっっっと川崎フロンターレというガワとしての「チーム」を好きだったけれど、こんなに個人個人全員を好きになったのは実は初めてで、今までの中で1番川崎フロンターレに愛情がド深い状態になってしまった。

やっぱり、現地で観るってめっちゃすごい。マブの、先に現地いけ!そこで好きなやつみつけろ!って言っていたことは、そういう意味では間違っていなかった。

 

これはせっかくの備忘録なので、あえて個人名をだして。見ているうちにどんどん好きになっていった選手たちも記録に残しておきます。本当は、全員に一言いっていきたいんだけど…!

 

・三浦颯太選手

良すぎる。

ソムリエのマブに「ドリブルで縦突破できる人が好き」って言っていたし、そもそも私は足が速い男がだ〜〜〜〜いすき❣️(真剣)。爆走するみうりんは本当に私の好みの選手だった。

町田戦の70mスプリントの動画、盛らずに150回は見た。まじ気持ちいい。ありがとう。

 

・山本悠樹選手

ソムリエのマブに、「どんな選手がいい?」って言われた時に、「中村憲剛が本当に好きだった。あんなかんじ」って言って、「中村憲剛はちょっと格が違うわな。レジェンド。」と即却下された過去を持つ私。

そもそも自分はMFが大好きで、DFを好きになったのは高井くんが初めて。高井くんが怪我で居なかった頃、ピッチ全体を眺めながら、「なんか…上手く言えないけど、山本悠樹さんめちゃくちゃすきかも…wwwwやっぱMFって最高だな!?!?!」ってなっていた。そんな中でガンバサポの「エロいパスは健在」っていう投稿をみて、「エッっっ‼️めちゃくちゃわかる‼️それだあ‼️‼️‼️わかるそれ‼️‼️」とのたうち回った。

その試合近辺くらいからだろうか。「中村憲剛みたい」って言われている投稿を度々、目にするようになった。

えっ、まじか。 

焦る私。ずっと探し求めていた「中村憲剛みたいな選手」を、ようやく見つけられたのか?

「生脚魅惑のテクニシャンやっほい‼️生脚魅惑のコーナーキックゥ‼️」とか盛り上がってごめん‼️まって‼️の状態。

それからあとの試合は、そんな事を頭に入れていたけれど、なんかとにかく、直感というか、感覚というか、なんかDNAレベルでというか、山本悠樹さんのプレーがぶっささって、苦しい思いをしています。出会っちゃったなあ。

川崎に来てくれてほんとうにありがとう。

すみません、ブランケット、悠樹さんの持ってます。てへ。

 

小林悠選手

これはもう、再確認。やっぱり小林悠が好きすぎる。本当に大好き、って話。

悠、ずっと好き、ずっと知ってる。入った時から知ってる。このブログを書くにあたり自分のツイートを遡っていたら、2011年に「小林悠よくやった」っていうトンデモイキりキッズによる投稿がみつかった(笑)

茶の間していた時代もずっと、悠がスタメンだと嬉しい。点とると嬉しい。家族もみんな、「やっぱ小林悠だよなあ!」っていつも言っていた。

今回、色んな選手が見えるようになって、「水色軍団」が「11人で創っている水色軍団」になって、改めてやっぱり大好きだって思ったのが、小林悠だった。

好きすぎる、小林悠が。

色んな選手の動きが見えるようになったからこそ、あの闘志メラッメラの、ガッツガツの、点取りに行く姿勢でゴリゴリの悠が、もっと濃くみえた。この選手は最高にカッコイイ川崎フロンターレのスーパーFWだと思った。

ずっっっっと川崎フロンターレにいてくれて、本当にありがとう。悠のユニを着て過ごさないで私の人生終わるなんて絶対嫌だから、次は悠のユニ買いたいなって、今本気で思っています。

悠とかヤストとかのユニを着るってなんか、川崎フロンターレの全部を一緒に背負ってる感じがしない?笑

私みたいな女の子は、ガツガツ点取りFWが大好きだから!!!悠のプレーは最高!ありがとう!これからも好きでいさせて!こんな気持ち。

 

と、あえて三浦山本の名前をだしましたが。

私が「フロンターレで推したい選手」の条件のTOP2、いや、もう1番!くらいで、「川崎ユース出身or川崎-横浜、この近辺出身」がある。だって同郷のやつ、そんなの、マブやん。(?)

でも、そんな私の絶対条件を差し置いてでも、気になってしまって好きだもう止めらんない…と思ったのが、三浦山本だった。

この事象がもう、「フロンターレの個々人を好きになりすぎている…!」という裏付けに他ならなかった。

みんな本当に大好きです。どうかな?もうしばらく一緒に居れたら、嬉しいなあ。そんな最終節目前の今でした。

 

7)やっぱり川崎フロンターレが大好きです。

 

そんなこんなで、「もう選手全然わかんない!えーいDAZNはいっちゃえー!」から、こんなことになってしまいました。

そもそもの気質がドオタク、しかも現場大好きタイプだったので、まあそりゃ、ハマっちゃったらそうですよね。

でも、今このタイミングで大ハマりできてよかったなって、やっぱり巡り合わせってあるんだなって強く思っている。

高井くん、あの鳥栖戦で点決めてくれてありがとう。君を応援すること、オリンピックに間に合ったし、A代表デビューも間に合ったよ。世界一のDFになれ!!するから!!!!!

A代表、デビュー記念に、初めてネーム入りの代表ユニを買いました。一生この気持ちを忘れたくない!

 

とにかく、後押ししてくれたり声かけてくれたお友達のみんなに、本当に感謝。みんなが色んな人から優しくされますように。

 

お陰様で、リーグ優勝もしていなければ、ルヴァンも天皇杯も爆死したシーズンなのに、一生忘れられない、一生忘れたくない、そんな素敵なシーズンになりました。

勝って優勝するだけじゃないんだよ、大丈夫。勝てなくたって、こうやって、心を揺さぶられているサポーターがいます。

 

サッカーってさ、ファンのこと、「サポーター」って呼ぶの、いいよね!!すっごく!!!

野球はさ、球団ごとのファンのあだ名があったりするけど、総称はないじゃん。

私は、「川崎フロンターレ」を「サポート」しているんだ思うと、なんだか一緒に強くなっている気持ちになるよ!!!!!

 

そんなこんなで、いつぶりか分からないくらい久しぶりに、後援会に入り直しました。

昔はファミリー会員で入っていて、親が会費を出していた後援会。

これからは大人になった私が、子供の時のぶんを恩返しするかの如く、たくさんサポートさせていただきやす。まゆの恩返し。

 

小さい頃からこのサッカークラブが大好きでよかった!

やっぱり川崎フロンターレが大好きです。